AIと文学
昨今AIに関わる論議が盛んです。問題の要点は人間の脳をAIが越えられるかと云う事だと思われます。AIは科学と云う文明が齎したものですが、最後まで見極めが着かない要点は人の感情の扱いです。AI研究者の中には数年で超えると断言する方もおられます。人の感情はある程度パターン化は可能でも、一つとして同じ感情が存在しない以上、それは無理だと思われます。失礼ながら、人間と云うものを理解されていないとしか申し上げられません。
都市は文明によって築かれたものです。そこでは利便性や効率性や普遍性が優先され、そこで暮らす人々は意識せずにそのシステムの中に組み込まれてしまいます。いつしか感情ははけ口を求めて藻掻き始め、特異な行動となって爆発するか、内に向かって引き籠ることになります。
文学は人の感情の世界を扱う作業です。文化は人の感情を安定させ心地良い世界に導くものと考えていますが、今や文明が大きな力を持ち、文化との均衡が崩れつつあるように思えてなりません。文学に手を染めた者として、人間を信じる者としてAI社会を恐れる気持ちは聊かもありません。
これは私見ですが、今や文明社会は悲鳴を上げ始めているように感じます。世界中で分断の危機に瀕しています。そんな中でも日本国が安定した状態を維持しているのは、日本と云う国が文化の国だったからだと思えるのです。蓄積された文化は簡単には破壊されません。それに気付くことは少ないのですが、気付かない程に浸透しているとも云えるのです。その一端を継承している九州文学の一員として、同人の皆様と共に新たな新年に向かって気持ちを新たにしたいと考えます。
不羈庵(九州文学編集委員)