遣唐使 井真成 (西安旅行)⑤
中国西安市近郊には、大学が50もあるらしい。その昔、隋の文帝がそれまでの世襲的な官僚登用を改め、試験による官吏登用を導入したのが科挙の始まりである。その科挙の名残故か、西安はとても教育に熱心な街である。大学は、専門性に特化した大学が多く、芸術、スポーツ、音楽だけでなく、石油や交通、郵便の大学もあるらしい。石油や郵便に特化したカリキュラムとはどういったものだろう、と授業を覗いてみたくもなった。
そんな中、現地のガイドさんが「日本の遣唐使といえば井真成(いのまなり)だ!」と言う。
「え?阿部仲麻呂や吉備真備では?」と言うと「その2人も有名だが、何と言っても井真成」と。聞いた事もない名前に私はとても驚いた。しかも、西安で一番優秀な大学、西北大学では、井真成の墓誌が大切に保管されているとの事。井真成の墓誌は、中国で発見された最初の外国人の墓誌でもあり、この墓誌は日中間のみならず、とても貴重な研究材料になっているとの事だった。
急ぎ、日本のグーグルで調べてみると、井真成は、大阪の藤井寺市に縁があるようで、藤井寺市のマスコットキャラクターが「まなりくん」だった。それでも日本での知名度は乏しい。こんなにガイドさんが力説してくれるのに、井真成を知らなかった自分が恥ずかしくもあった。
ガイドさんの説明によると、まず、墓誌に残された事こそが、井真成がとても重要な立場にいた事を示しているとの事。井真成は36歳の若さで西安の官舎で亡くなったらしいが、皇帝がその死を悼み「尚衣奉御」の詔を出した記録が残っているとの事。日本人遣唐使に対し、皇帝自ら「尚衣奉御」の詔が出された事は、とても特別な事で、井真成がそれに相応する立場だった事を物語るそうだ。井真成は、ともすれば阿部仲麻呂より位は上だったかも知れないと、ガイドさんは語る。
阿部仲麻呂は、中国で読んだとされる有名な歌とともに教科書に紹介され、殆どの日本人の知る所であるが、井真成を知る人は殆ど居ないように思う。こうやって、海外に出ると日本人が知らない日本人に出会う事がある。これこそが、文献だけでない歴史に向き合える醍醐味とも言える。
私は、西安で有名な日本人遣唐使「井真成」の名前をしっかり心に刻もうと思った。